隠岐島前神楽のスピリット

 隠岐汽船島根半島から北に向かって五〇キロほど航行すると、隠岐島 島前(どうぜん)に到着する。島前は西ノ島・海士・知夫という三つの島の全体を表す地名であり、それらの島はカルデラの外輪山として日本海に浮かんでいる。この三つの島々に昔から伝承されてきた神楽は「島前神楽」と呼ばれ島民に親しまれてきた。神楽は夏の例大祭に奉納される事が多く、島前の夏の風物誌となっている。
 旧来、祈願の主旨・神楽の大小によって二〇ほどの番組が、大注連神楽(雨乞い・病気平癒等)・湯立大神楽遷宮祭等)・大神楽氏神の祭礼等)・浜神楽(大漁祈願等)・神子神楽(地主神祭等)・八重注連神楽(葬祭)の六つに類別されて演じられていた。しかし時代の趨勢に伴い、現在では葬祭の能、注連行事、湯の行事は長らく中止されている。
 島前神楽の番組は出雲、石見と同様、古事記出雲風土記等の神話を元に構成されているが、文字情報だけで神楽を推測すると特色は伝わりにくい。島根県で最もポピュラーな「ヤマタノオロチ」でさえ、楽(がく)や舞の個性により、見る者にとって「こんなに違うのか」と思えるほどに印象が異なってくる。その個性が地域の中での神楽を決定づけ、引いては神楽地域住民の伝統的アイデンティティーを育んでいる。我々が「地元の住民である」事を最も実感するのは、そんな神楽の時ではなかろうか。その点において現代のコンサートとは次元を異にする音楽・舞が神楽である。
 「島前神楽」において一つ特徴があるのは、BGM機能に特化させた「道中神楽」と呼ばれる音楽であろう。これは神輿渡御の折に神輿に随伴して神楽の楽を演奏する事であり、短くても二時間、長ければ六時間も続けられる。西ノ島の渡御ではこの道中神楽が欠けると、神輿がただの苦痛な労働になり下がってしまい、逆にこの神楽の楽が鳴るだけで若者には胸騒ぎのスイッチが入って、多少の無礼講を伴ってトランス状態が訪れることになる。
 神楽は舞台芸能として祭の場を離れて公演される機会は多くなってきたが、スピリットが発生するのはやはり地元の祭の空間である。神楽の舞と楽だけに視線を当てるのなら、演劇を見る様に、コンサートを見る様に、どこの舞台でも形だけはうかがい知ることは出来るが、「地元の現場」のにおい、自然景観、観客の思い入れも含めて、全体の流れの中に身を置いてこそ神楽の本性が現れて来ると思われる。
 現在 島根県立古代出雲歴史博物館で開催されている「島根の神楽」で公演される隠岐島前神楽の番組
「幣帛舞」(ぬさまい)
散供(さんぐう)とも呼ばれている。左手に御幣、右手に鈴を持って舞う。散供とも呼ばれるように、舞の中で五方に米をまく所作がある。この舞のいま一つの特徴は「・・○○神社祭礼に奉納するもの也・・」というように、舞人が口上で神楽奉納の主旨を述べる事にもある。
巫女舞」(みこまい)
島前神楽の楽(がく)の派手さに比べ、舞はかなり控えめなので、じらした様な効果が生まれ、セクシーと言えばセクシーな舞である。
「随神能」(ずいじんのう)
随神(豊間戸奇間戸神)(とよいわまどくしいわまどのかみ)と邪神が戦った末、邪神を退散させるというストーリー。「八幡」ともいう。島前神楽では善神は白面、邪神は黒面をつける傾向があり、面を着けた舞である神はすべて打杖(うちづえ)と呼ばれる二尺ほどの竹の両端に紙をばらして巻き付けた採物を持って舞うのも、島前神楽の特徴である。
「切部」(きりべ)
戦の神である建雷之神(たけいかづちのかみ)が戦の話を胴の曲打ちで語る舞である。

山陰中央新報』2010年3月24日(水曜日)