隠州嶋前美田邑八幡宮祭禮式書
隠州嶋前美田邑
八幡宮祭禮式書
神主 月坂玄盛
一 夫美田※院正八幡宮と申奉るは、人王六十代の帝醍醐天皇の御宇延喜元辛酉年八月十五日に山城国男山より隠州知夫里郡美田院へ勧請奉り、諸人尊み歩をはこび、諸願を祈るに霊験あらずと云ふことなし。
故に此社には延喜二年より、歳を隔て国主隠岐守※義信公より、八月十五日、天下泰平、国家安全、五穀成就、子孫繁栄の為に田楽の大祭を遊れ候所に、その後、御支配代り、元弘二年※未八月より佐々木隠岐判官公より、国中の御祈祷この社において祈るに、霊験あらずと云ふこととなし。
よって祭禮、国中よりあい努べき旨仰付られ、国中より米十石差出され、大祭あい勤申す所に、文禄三年より国中に出し申さず候に付、祭礼巳に一年もあい止べきところ、祭礼年にあい当れば八月朔日より、八幡宮社内において夜々に祭礼習しの声、太鼓の音、在家へ聞え候に付、氏子共神慮の程を恐入奉りて、美田の院計にてあい勤申すなり。
右様の霊験あらたなる大切至極の御祭を、近年粗略の村方もこれあり候に付、この度あい改め往古よりの通り掟書あい認め申すものなり。
文化十二歳
亥八月吉祥日
八幡宮祭禮之次第
一 十方拝礼。この祭り隔年にこれあり候。祭禮年に帳附と申すは、其年七月二十八日に庄屋所において役者帳面をあい定め、八月朔日に長福寺へ上り、躍り始め、二日の晩より五日の晩まで、大津薬師寺にて習し、六日より十日の晩迄は、祢宜方にて習し、十一日より十四日の笠揃までは神主方にて習し、十五日には御社にて祭禮成就仕候なり。
一 十五日社にて御祭りの躍手は、十五日早朝より神主祢宜同道にて社へ参り、神前の御戸を開き社家方は、籠所にて御神楽始り桟敷にては神之相撲始り、次は獅子舞、十万拝礼始り御祭成就仕候えば、早速に大相撲興行仕べく候事なり。
一 役者帳附と申すは、七月二十八日庄屋方において大津神主祢宜、一部年寄并て三人の役人打寄候て相談致し、帳面あい定申べく候若庄屋所に間違これある候節にては、庄屋代として※一部年寄方にて帳面あい定申べく候。その時郷中より御酒一升五合あて御祝ひとして、先格にて差出申ベく候事なり。
一 頭次手と申は、八月朔日の晩、長福寺にて躍り始め、おどり終り候上は、躍子、囃方、郷中役儀三人の役人、百性その夜寄會候者に、残らず夜食昼飯長福寺より賄ひ候事。先格のもし長福寺無住時は、村方より年行事賄ひこれあり候。もっとも物入はやはり長福寺の物入にしてなり。
一 八月二日より五日の晩まで薬師寺にて習し、もし薬師寺の無住の節には、長福寺より人を下し、躍子囃方の敷筵(しきむしろ)仏前の燈明役儀のもの、役者のものへ茶、煙草盆、抔を差出候事。是は長福寺末寺の役なり。
一 六日の晩より十日の晩までは、祢宜方にて習し申し候。是も敷筵、茶、煙草盆、抔袮宜より差出べく申候事なり。
一 十一日より十四日、笠揃までは神主方にて習し申し候。是も筵、茶、抔は神主より差出申ベく候事なり。
一 十方拝礼、躍子十二人大津村より差出申候。もっともこの内、二人、中門口と申すは出家二人。これは圓蔵寺、龍澤寺より勤申すべく候。※両寺の内無住にて、又は間違いなどこれあり候節は、長福寺より小僧にても、又は余の僧にても雇ひ、差出しべく申候事なり。
一 獅子舞二人、大津里より指出し申し候。これは大津にてこれ無き節は、郷中より雇ひ差出し申すべく候事なり。
一 躍子、獅子舞七月二十八日に庄屋所において、あい定り候て、八月一日の朝、市部三人の役人より逸々案内これあるべく候事なり。
一 囃方は小向里より勤来の通り違背仕りまじく候事なり。
一 どう打二人、内一人は小向里より出し、一人は大津にて前々より勤来の通りきっとあい勤申ベく候事也。
一 笛吹と申は、大山明里より八月一日より十五日迄、往古より勤来候えども、如何の訳にこれあり候哉。当年より船越鍛冶屋利平太よりあい勤申候。根元大山明違背仕りまじき事也。
一 楽屋懸は、大山明掛納ともに往古より勤来の通りきっとあい勤申ベく候事也。
一 習し中、入用の焼松は十三日の間、入用程は船越より先例にて差出し来るの通きっと出申べき事。
一 社の桟敷懸は、橋浦船越両里より掛納共にきっと勤来の通り違背仕りまじく候事也。
一 角力、土俵、拵御陣屋の桟敷并に社家方送り迎ひは、社内のそふじ美田尻よりきっとあい勤申ベく候事也。
一 神の相撲、二人は小向の里より前々の通りきっと勤来の通り違背仕まじく候。神の相撲行司、一人は大津里惣兵衛、一人は小向の里より差出申べく候事。
一 躍習し中に、長福寺庄屋年寄役人ともにて習しの場所へ、躍指南として出会これあるべく候。是又往古より格合に如此に候。習し中に一晩、長福寺より酒五升、御振舞成らるべく候。是又、前々より格合にて如此に候也。
一 習し中に、一晩長福寺より酒五升御振舞、是又前々より格合にて
一 同一晩、酒五升庄屋所より御振舞成らるべく候。是又先格にて如此に候也。
一 同一晩、酒七升郷中年寄七人にて御買成らるべく候。
一 同二晩に、酒一斗是は郷中より御買差出し成らるべく候。是何れも違背仕まじく候事。
一 大津里、百性中は躍り習しの度毎に罷り出候て、おとりの指南仕べく候事也。
一 十五日あい済候えば、神主祢宜郷中役儀役者、囃方、神の角力、行司、桟敷掛候者まで残らず庄屋所において、喰酒にて祝ひ申し候。是先格也。尤、この賄ひは一部里より薪など差出し賄い候事。格合也。物入りの儀は、郷中の物入にて年行司より何角調え差出し賄い申すべく候事也。
一 子ざさら聲かけは、大津惣兵衛仕来の通りにあい勤申ベく候也。
一 くろおとりと申すは郷中にて立願、或は信心、としてあい勤申べく候事。
一 十方拝礼、立願の者、他村にこれあり候時は、大津神主祢宜方へあい頼、其年は相談を以、一人か二人は願解きいたさせ候事也。
一 十四日、笠揃にては長福寺庄屋年寄三人の役人ともに、その外大津里百性中、早朝より神主方寄集り、笠揃仕べく候事。
一 十五日、朝、長福寺送り迎の人足一人郷中より出し申し候也。
一 飯田には十四日早朝より祢宜方へ祭りに参り、祭りあい済候えば、早速神主方にて清め、これあるべく候事也。清めあい済候えば、皆々清めの湯戴き候て、笠揃へ仕べく候事也。
一 十四日、湯の銭十二銅、半紙二束、精二合半、扇子一本、
苧一ほぎ、赤紙二十枚、酒一斗、白米一升、右の品々、年行司よりあい調、十四日早朝に神主かたへ持参これあるべく候事。
一 躍子、鼻紙一人前に三枚宛あい渡し申べく候事。
一 獅子舞、着物仕立候者、十三日に見合にて雇ひ、但し昼飯料として白米一升、酒一升差遣べく候事也。
一 精二升、社家飯田へ同一升、長福寺同一升、円蔵寺同一升、龍沢寺同一升、神主同一升、祢宜として米七升を年行司より十四日早朝にそれぞれにあい送り申べく候事也。
一 神前、御酒一升社にて神主へあい渡し申べく候事也。
一 小屋酒、五升、外に一升美田尻の里へ年行事よりあい渡し申べき也。
右の通り、往古よりあい定り申候間、勤来の通りきっと銘々
あい勤申べく候。此祭りは天下泰平、国家安全、
子孫繁昌の為、祈りこれあり候えば、往古は国中より躍り申し候ところ、その後国中より米十石、美田村へ差出候てあい勤候由のところ、何時頃よりか三島より米出し申さず候へども、祭礼年八月一日の晩より、八幡宮社内にて夜々太鼓の音、囃し声いたし候へば、神慮のほど恐入り奉り、美田邑ぎりにてあい勤申候。
右きまりの御大切なる御祭を、如何あい心得候や。近年麁略の里方もこれあり候につき、此度あい改め掟書いたし、あい定め候上は、向後猥り
の儀はこれ無き様に、一同にあい勤申べく候以上。
文化十二年
亥八月吉日
美田尻百姓惣代 文太夫 印
大山明百姓惣代林左衛門
橋浦百姓惣代四郎左衛門
一部百姓惣代和十郎
小向百姓惣代与平次
船越百姓惣代武太夫
大津百姓惣代惣兵衛
一部役人清八
同里役人栄三郎
同里役人伝蔵
美田尻年寄大助
大山明年寄徳四郎
橋浦年寄祐七
小向年寄元衛門
船越年寄甚太夫
大津年寄庄左衛門
一部大年寄久蔵
庄屋笠置大三郎
祢宜武衛門
神主月坂玄盛
社家宇野石見
薬師寺
龍沢寺
円蔵寺
別当本寺長福寺
悪筆を書置くことも
恥しなれど
ただ祭礼の
ことを思へば
本書落ちこれあり候。神相撲、敷筵二枚人足つかわし候也。御幣紙三状年行司より社へ持参いたすべ