新しい世間

(99/1/25)
 一〇年ほど前から五年かけて地方誌を執筆した時のことである。個人的にはそれほど歴史には興味が無かったのが、仕事上そういう訳にもいかず、一年かけて地元の文献を漁った。卒業論文以上の長文を書いた経験もないので、学生に返った気分で参考文献に付箋を貼り、それをカードに書き写していた。カードといっても学生時代にパンチカードを購入するほど資金は贅沢ではなかったので、A4のルーズリーフノートを半分にしてA6の型に切断し、京大式カードとか称していた。卒論といっても原稿用紙五〇枚程度の量なので、データも千枚ほどですむ。しかし、地方誌ともなると五〇〇ページは越すものと予想され、とてもカードでは処理しきれないと諦めかけていた矢先、知人からデータベースというものの利用を聞かされて目が覚めた。デーベースとはコンピュータに一定の書式で文字を入力しておき、それを自分の思い通りに検索するソフトである。
 それから私のコンピュータ道楽が始まった。データベースを使うにはコンピュータを知らなければならず、それらの情報は地元には無かった。四千人弱の島では未だにパーソナルコンピュータが普及していなかった時代である。パソコン雑誌・パソコン通信掲示板など、情報源はすべて島外に頼った。今でもそうであるが、パソコンの説明書ほど初心者に理解しにくいものはない。極端な話、説明書は操作できる人にしか理解できない代物であり、説明書から操作へとは導かれないのが常である。逆に言えば説明書が理解できる様になれば初心者は卒業である。
 しかし、雑誌や説明書だけでは実際の細かい部分は判断できない事もあり、その部分はパソコン通信に頼った。解らない事をパソコン通信掲示板に書き込んでおくと、次の日にはどこのだれとも知らない人物達からその回答が五・六通寄せられていたので、パソコンの便利さよりも通信ネットワークの恩恵に驚いた。
 日常の人間関係では、顔を会わせた交流が普通であり、それ以外の交流は極限られたものであった。そういう意味ではコンピュータ通信の世界は技術的な驚異よりも人間関係の新しさに驚きをおぼえた。日常の世間ではお世話になったら返礼をするのが一般的であるが、通信上の返礼は通信を介しての礼状だけですむ。私が通信に入った時はそういうルールが既に確立されていた。何か物足りない感覚を残しながら毎晩、掲示板にアクセスすると、その世界ではそれが当たり前となっていた。では私に出来る事は何かと考えたら、新しい人に今度は自分が教えてあげるということであった。その辺の感覚は通信世界に長く住むに従って慣れてきた。しかし、なかなかその辺のルールを飲み込めない人からは、現実にお礼の品物を送ってきたりしたので「気持ちは解るけど、この世界は礼状だけでいいんだよ。今度はあなたが他の人に教えてあげなさい」とメールを出したりもした。
 掲示板からメール、次にはチャットというリアルタイムの会話に進み、解らないことがあったら、チャットに入って直ぐに聞くというせっかちな交流が始まるともはやヲタクの部類に入るかも知れない。この世界では、現実に顔を付き合わせて交流することを「オフライン・ミーティング」と呼んでいる。彼らにとっては逆に「オンライン・ミーティング」(オンラインとは電話回線上という意味)が日常であり、そのメンバーが実際に会う事を「オフライン」と称している。
 こういう世界は人類歴史上初めての経験であり、そういう意味では経験不足でもあり、危うい事態も招きかねない。現在ネットワーク上での事件は、新しい世界の過渡期でもあり、若気の至りともいえよう。だからこそ、新世界の新住民は新しいルールを確立する使命を帯びている。業界用語ではネットワークとエチケットを合わせてそれを「ネチケット」と呼んでいる。
神社新報