「ふるさと」の行方

(98.10.5)
 盆が過ぎたころから気温と共に田舎は寂しくなってくる。地元の住民にとっては日常に返るだけであるが、祭りの後と同様の心持ちになる。盆の宗教的主旨は別にして、八月十三日から十五日にかけては「ふるさと祭」と銘々してもよさそうな情況が繰り返されている。
 「ふるさと」は、一般的に生まれ育った地域とそこでの人間関係を基本にして、しかも、現在はそこに在住していない人に発生するイメージである。地域の景観、方言、郷土料理、伝統的行事、同級生など、五感を動員して形成され、しかも変わらない事が良しとされた外からの希望をかなえる小ユートピアと言い換えてもいいのかもしれない。一方地元では日々都市化を目指して地域景観を変え、方言は世代によって見る影もなく、家庭料理は和・洋・中が混在し、伝統行事も簡略化され、同級生の旧姓は同窓会の折りの役者名としてのみ生き残っている。現実には全て変化しているのだが、都市住民から見ればその変化はわずかであり、加えて「ふるさと」に入る時は「ふるさと」メガネをかけているので変化部分は見えにくくなる。
 そんなに良い「ふるさと」であれば永久帰省してもよさそうであるが、隠岐島などでは現実的には就職の口が少なく、もしあったとしても、伴侶の反対にあってかなり永久帰省率が低い。昭和十二年から昭和五六年までの中学卒業生名簿から帰省率を見てみると、約三分一が地元に帰っていることが判明した。逆に言えば三分二が出郷者である(中学もしくは高校を卒業して島を出る確率は九八%)。具体的にはこの出郷者にとって有効なコンセプトが「ふるさと」であり、彼らが故郷を離れた場所で郷土会を結成したり、盆に帰省する核になる。仮に彼らを「ふるさと」一世と呼ぶなら、その子供達は二世、孫は三世となる。帰省は一般的に家族単位で行われるので、各世代にとっての「ふるさと」体験は自ずからスタンスが異なってくる。もはや三世にとっての「ふるさと」は希薄となり、「ふるさとに帰る」という言葉が現実味を帯びたものとは解されない。平成十年には都市住民は全人口の三分二を越え、次第に一世より二世・三世の割合が増えてくる。一世にとって懐かしく親しい「ふるさと」は下の世代にとっては敷居の高い地域になる。二・三世は都市に生まれ育ったからである。
 では、都市は「ふるさと」になれるであろうか。都市では変化が恒常化しているので、景観、人間関係の変化日常化している。そういう地域では逆に旧来の絆や伝統から解放され、ある意味で自由と感じられた経緯がある。二・三世にとって生まれ育った環境がその様なものであるとすれば、一世の感じた開放感はない。その代わりにといおうか逆にといおうか、彼らは新たな絆を求めている。一世にとって敷居の低い「ふるさと」は彼らにとって絆の代わりにはならない。彼らにとっては狭い世間であるプライベートな仲間や新興宗教、サイバーコミュニティーパソコン通信やインターネット上での仲間)の方がはるかに敷居が低くて親しみやすく絆造りのしやすい共同体と感じられている。もはや「ふるさと」は二・三世には必要性のないコンセプトとなる。
 田舎にとって一方通行の人口流失は恒常的に「ふるさと」一世を生み出すが、それも過疎化・高齢化率と反比例して徐々に割合が少なくなりつつある。我々「ふるさと」管理人はせめて地元に思い入れをしてくれる一世に対して積極的に対応し、観光「ふるさと」を演出する劇場を作り上げて行くしかあるまい。
神社新報