2007-01-01から1年間の記事一覧

隠岐汽船の事

隠岐汽船に乗り、あかぬけた風貌なので観光客かと思いきや、すぐに毛布と枕をとり出して場所を確保する仕草をみると、ああ帰省か、と納得させられる。今ではフェリーで二時間半もあれば島に到着するのだが、それでも「船内で寝る」という風習は抜けないらし…

隠岐島の歴史年表

隠岐島と言っても主に西ノ島町を中心にした年表です。 『西ノ島町誌 西ノ島の今昔』の年表部分をデジタル化したもので、それに2005年までのものを追加しました。以下のファイルはタブ区切りですので、表計算・データベースで取りこめるようになっています。 …

翁の消滅

(2000/01/28) 十万分の一の縮尺地図には載っていない、また、マスコミには一度も登場した経験のない様な小さな集落で葬儀が行われた。八十才を過ぎた長寿を全うしたのだから、近い親類以外には特別に悲しみに浸るという雰囲気でもなかったのだが、妙に周りの…

ソフトな試み

(99.7.14) 学生のころから十年ほど過した東京を後にして国に帰った時はまだ三十そこそこであった。神社の荒廃を見る度に力こぶを入れるほど元気でもあった。その勢いを当時の流行言葉で「地域の活性化」に向けたのである。回りくどい様な理屈でもあるが、神…

「ふるさと」の行方

(98.10.5) 盆が過ぎたころから気温と共に田舎は寂しくなってくる。地元の住民にとっては日常に返るだけであるが、祭りの後と同様の心持ちになる。盆の宗教的主旨は別にして、八月十三日から十五日にかけては「ふるさと祭」と銘々してもよさそうな情況が繰り…

新しい世間

(99/1/25) 一〇年ほど前から五年かけて地方誌を執筆した時のことである。個人的にはそれほど歴史には興味が無かったのが、仕事上そういう訳にもいかず、一年かけて地元の文献を漁った。卒業論文以上の長文を書いた経験もないので、学生に返った気分で参考文…

会話が変わる日

(98.6.30) わが家には二系統の会話がある。父と私が地元方言、母と女房子供は地元の言葉を使っていない。島根県隠岐島、特に西ノ島では地元の方言以外の言葉を「ヨソ言葉」と呼んで区別している。確かに母と女房は余所から嫁いで来たので地元の方言にはなじ…

歴史の痕跡

焼火山の登山道脇には今でもお地蔵さんが見られる。これは旧参道には一丁毎に奉られており、一種の一里塚の様な役目を果たしていた。波止からは十八丁、大山からは二十一丁となっていたようである。ただの目印というより、この地蔵は焼火信仰の歴史に深く関…

はつまいり

二月中旬といえば空は暗く海は怒涛に囲まれて、いやが上にも寂しさをつのらせる様な景色は最も日本海らしく、つまり隠岐島らしい季節でもある。普段ならなるべく早くコタツに潜り込みたい時季に、焼火山の中腹では真っ昼間から飲めや歌えの宴会が始まる。そ…

身びいきの伝承

(03.3.11) 隠岐島島前、特に西ノ島では祭の事触れは神楽の音から始まる。自分たちの祭なのだから当然、日程も頭には入っていようが、ごく一般的な島人には音によって初めて祭に気付く次第である。別に不信心でもスケジュールに疎い訳でもないが、どうしても…

祈祷の神楽

(03.3.11) 島前神楽は現在、島前地区の有志によって保存会組織として伝承されている。しかし、この保存会は昭和五〇年以降の流れであり、以前は社家によって支えられていた。社家はもともとは神主家とは異なり、神楽を生業とする特別な家筋であった。今でこ…

島前神楽のあらまし

(03.3.11) 島根県の沖あいにある隠岐島、西ノ島では七月中旬から末にかけて各集落毎に例大祭が執り行われる。これらの夏祭りでは隔年毎に大祭(おおまつり)小祭(こまつり)と称して、大祭では神輿渡御が欠かされず行われている。その大祭では神輿渡御に加…

島前神楽歌詞

島前神楽、番組 神楽歌より 1 寄せ楽 エぬさーたつーる、エナーエエーェェエ 、ここーもーォォォ 、たかーまーのーォ 、 はら なれェ エー 、ばァ エーヤアエー 、 エあつまーァりたま 、えエーエエーヤエーエエ、よもーのかーァァ 、みーがァァ みィ、 ちはやぶる 神代…

神楽の時

(99.9.24) 島根県の沖合いにある隠岐島、西ノ島では七月中旬から末にかけて各集落毎に例大祭が執り行われる。集落の大小によっても異なるが、これらの夏祭りでは隔年毎に大祭(おおまつり)小祭(こまつり)と称して、大祭では神輿渡御が欠かされず行われて…