身びいきの伝承

takuhi2007-02-14

(03.3.11)
 隠岐島島前、特に西ノ島では祭の事触れは神楽の音から始まる。自分たちの祭なのだから当然、日程も頭には入っていようが、ごく一般的な島人には音によって初めて祭に気付く次第である。別に不信心でもスケジュールに疎い訳でもないが、どうしてもそういう心持ちになるらしい。この神楽の楽は「道中神楽」といって神輿渡御の折りに終止付きまとうBGMとして無くては成らぬ香辛料であった。短くても二時間、長ければ六時間も続く道中神楽で育って来たと言っても過言ではない。夕刻から始まる神輿が終わるのは夜になり、それから本番の神楽が始まる。舞を伴った神楽も五番もすれば三時間、子供の頃は夜が更けると眠くなり見物席で寝たり起きたりして夢うつつながらその場に浸っていた。地元の見物人にとってそれは決して特別ではなく、ごく一般的な風景であった。
 島人にも二年に一度の神楽は懐かしく、また出郷者にとってはことさらに思い入れ出来る風物誌として島前神楽は伝承されている。伝承する側ではなく観客の眼から見ると、懐かしさや思い入れ出来る風物詩は「掛け替えの無い」特別な印象として心に残っている。自覚は無くとも、余所の神楽を見たときに「やはりウチの神楽が一番いい」と感じるのは、その辺の心情を物語っていると思われる。他人から見たら根拠無き優先順位とも思われようが、その比較無用な心持ちが神楽を支えてきた。換言すれば、島の観客からすれば神楽を見る心持ちを伝承してきたともいえる。
 島前神楽がいつ始まったかは定かではないが、少なくとも江戸時代までは祈祷の要素にウェイトが置かれ、明治の神懸かり禁止を切っ掛けに芸能の部分が残されて来たのではなかろうか。願主や観客もそれに連れて感覚も変容してきたものと思われる。感覚の変容は神懸かり禁止だけではなく、観客の伝統的な生活の変容にも起因する。しかし、島前神楽にはまだ、その古層をかいま見るだけの形態は残しているのである。
郷土出版社「島根県の神楽」