はつまいり

takuhi2007-02-20

 二月中旬といえば空は暗く海は怒涛に囲まれて、いやが上にも寂しさをつのらせる様な景色は最も日本海らしく、つまり隠岐島らしい季節でもある。普段ならなるべく早くコタツに潜り込みたい時季に、焼火山の中腹では真っ昼間から飲めや歌えの宴会が始まる。そのシーンだけを島外の人が見物すれば奇習とさえ思える行事は、春詣祭(はつまいり)と呼ばれて島前中に親しまれているれっきとした伝統行事である。
 春詣祭は旧正月五日から約一ヶ月にわたって催される焼火神社への初参拝を謂いであり、各集落単位で朝から登山して社殿で諸祈願を受ける、いわば初詣の意味であろう。今ではあまり見られなくなった高膳に座って宴会するのは、祈願の後で催される直会(なおらい)であり、島民には直会=春詣祭のイメージととらえられている。
 戦前には晴れの場所でしか出されなかった高膳は今では姿を消し、島前では春詣祭の直会でしか見ることができない。直会の初めに神主が杯を受け、その後に参加者に杯が廻されてから宴が催される。膳のメニューといえば、鯖・煮豆・神葉(じんば)の酢味噌あえだけの粗食といえるほど簡素なものである。膳には湯飲みが一つ添えてあり、それが酒を飲むチョコ代わりらしい。酌とりがこれもまた昔ながらの一升徳利で酒をついで廻って三十分ほどたつと歌や踊りが始まり、およそ二時間でだいたい直会終了となる。男達はふらふらと下山支度をしている間に婦人方は土産の「焼火おこし」を買って贈る先をめぐらしている。
 何から何までアンティックとさえ思えるこの行事は、社務所改築のため六年ほど休止されていた。春詣祭の祈願は続けられていたが、直会が休止されていたので一般的には春詣祭自体が休止されていたと感じられていたようである。社務所は平成八年十月十日に完成し、久しぶりの直会復活で春詣祭ファン?には懐かしさも手伝って今年は余計盛り上がっていたように感じられた。
 旧正月の行事である春詣祭は焼火神社にとっては殊に意味深い神事でもある。焼火山縁起によると、大晦日(十二月三十日)丑三つ時(午前二時)に海中から三つの火が現れ、それが現在の岩屋に入り、里人がこれを祭ったのが焼火権現の始まりと伝えられている。戦前には、その御神火を見ようと隠岐島中から社務所に集まり年篭り(としごもり)と称して千人もの参拝者が一同に詰めかけたという。夕方から登山して夜中に御神火を拝んで朝下山。「大晦日の夜にお参りしなかった人々が集落単位で各々参拝したのが現在の春詣祭の形態でしょう」と前宮司は語っていた。旧暦の大晦日の深夜には龍灯祭と呼ばれる神事が人知れず現在でも行われている。
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