ソフトな試み

(99.7.14)
 学生のころから十年ほど過した東京を後にして国に帰った時はまだ三十そこそこであった。神社の荒廃を見る度に力こぶを入れるほど元気でもあった。その勢いを当時の流行言葉で「地域の活性化」に向けたのである。回りくどい様な理屈でもあるが、神社の発展は地域の発展に左右される部分が多いので、先ずは地域から、と色々なイベントを企画した。私に産業・経済の発展に寄与する力量があるわけでもないので、せめて文化方面で貢献できないものだろうかと漠然と考えていた。
 折りも折り、竹下首相の「ふるさと創成事業」が全国に施行され、我が町でも御多分に漏れず基金の使い道のアイデア募集がはじまった。この機会を逃してなるものかと、手唾をはいて友達と二人で「ふるさとネットワーク事業」という企画書を提出した。
 内容は

  1. 出郷者の名簿作成、調査=データベース作成
  2. 地元の色々な情報収集(情報誌の情報と、資料館の情報) データベース作成
  3. 情報誌の発行(町民に対しても、出郷者に対しても)内容(両方向雑誌)結婚、死亡、誕生、島で起こった最近の出来事、イベントの紹介(祭り、盆、イベント等のスケジュール)研修、ふるさと学校等のスケジュール。
  4. コンピュータ通信ネットワークの開設(発信、受信)
  5. ふるさと林間、臨海学校の開設(町内の児童と出郷者の児童が一緒に)
  6. ふるさと宅配便(特産物の出荷)
  7. 空き家の管理、維持を組織的に行う
  8. 墓の維持、管理を組織的に行う。
  9. 祭り、盆などの伝統行事に参加させる。例えば七、八月にかけて帰省を募る。(神輿の担ぎ手、盆踊りの踊り手が多くなることは、地元の人にとっても有益と思われる)
  10. 出郷者の郷土会は地元で行う。
  11. ふるさとチャーター便(汽船のチャーター)
  12. ふるさとデジタル情報館の開設(歴史、文化、自然、産業その他)
  13. 研修事業の開設

 右の企画は「ふるさと」というキーワードを介して地域の内と外を結ぶ人的交流を活性化するのが目的であった。しかし、地元にとっての「地域の活性化」とは産業の活性化を目指し、単純化すれば経済の発展を目指していたのである。経済的には入より出が多いこの企画は不人気で、それに比べて大手広告代理店の企画書は、一瞬でも田舎が輝きを見せる夢を与えた。
 こうしてお蔵入りした「ふるさとネットワーク事業」は商工会というルートを経由して、平成三年に国と県の補助金で部分的に復活した。「隠岐国(おきのくに)」という情報誌の発刊である。一、出郷者の名簿作成 。二、地元の色々な情報収集。三、情報誌の発行。の三項目だけは現実のものとなった。「ふるさとネットワーク事業」といっても一番苦労のいる出郷者の名簿作成はすべて商工会の職員が受け持ち、情報誌の記事は編輯部と称して五・六人で寄り集ってどうにか創刊号は出来上った。この時、情報誌のモデルとなったものは、昭和十一年から四年間発刊された小冊子である。これは町の全青年団が各集落毎にページを受け持ち、ムラの出来事を事細かく出郷者に送ったのが殆どの内容である。「隣の○○屋のおばあさんは最近腰が弱って、お堂にも来なくなった」とか「名物の○○松が枯れてしまった」など、ローカル色豊かとい域を超えて、そこの集落内部の人にしか理解できない超ミニコミ誌であった。現在の我々はとてもここまで真似る事はできない。しかし、「隠岐国」は 出郷者に大反響を得たのである。約四千五百部発送し、励ましの便りが六百通届けられた。この反響を見て、ようやく地元も本腰を入れ、今年で九号を発行するにまで至った。
 「隠岐国」には地元の伝統的な情報が多くしてある。都市の出郷者は古いものがお好みらしい。
神社新報